ひかりのおと

妊婦観察日誌改め、一児の母の探究日誌。生まれてきたぴかぴかの子どもと一緒に巡る旅の記録です。母子手帳の育児道からはかなり外れているようです。

踊りの師匠の死

5か月間も何も書いていなかった...

 

先日、私の舞踏の師匠である夏先生

仕事先のメキシコで亡くなった。

天晴としか言いようのない亡くなり方で

本当に夏先生らしい素晴らしい最期だった。

最期はその人の全てがそこに出るのだ、ということを

みせていただいた。

 

そもそも、80歳で一か月間の公演・ワークショップで

メキシコを回るということができることがすごいのだけれど

更に、新作の公演を成して、2日目にはそのダンスから

「命をもらった」と書かれていた。

 

振り返れば

余命いくばくもなかった人が「命をもらった」という

まさに「消えつつ生まれつつある」ものを体験して

いかれたということが

人生とダンスの糾える縄を完結していかれたということだと思う。

こんな死に方ができる人はそうそういないと思う。

 

先生の凄みはすべてを自分の体験から語るところであり、

そして、自分の体験をしか、信じないところだ。

作品作りは突き詰めて突き詰め

最期に恩寵の風が吹いてできあがる、ということを

幾度も目撃した。

踊りに対して、見ている方が痛くなるほど誠心誠意誠実だった。

そして、めちゃくちゃ怖かった。

 

先生がなくなった次の朝、ぼうっとしている時間に

「深く深く、自分自身であること。

そうすれば、存在は詩になる」

という言葉がどこからともなくやってきて、

あぁ、これは先生だなぁ、とこみ上げるものがあった。

 

2017年は、今回先生が行かれたのと重なる場所をめぐる

メキシコツアーに、私も同行していた。

メインは、

コルドバの「Emilio Carballido 国際演劇祭」というものでの公演だった。

その公演のメインイメージ先生の顔がつかわれており

町中にそれがはりめぐらされていたのが記憶に新しい。

 

公演は、照明や音楽の、

ものすごい繊細なタイミングを要する箇所がいくつもあり

いつも陽気なメキシコのスタッフの方が、

すごく神経を使いながら、共に一生懸命舞台を成功させてくれた。

彼らは舞台づくりものんびり行うので

はらはらしたけれど、いつも、最後にはビシっとやってくれるのに感じ入った。

 

今回の旅で、先生が会いたい人に全部会い、

おしんだ場所を全て回ったことがよくわかった。

 

師弟関係というのはとても難しくて

「焚火のようなもの」とはよく言ったものだなぁと思うのだけれど

近すぎればやけどをするし、遠ければ暖まらない、

本当にそういうもので

わたし自身も何度も火傷をしました^^;

 

2018年から、自分で人生をつくらねば、と先生とは距離を置き

そこから怒涛の日々が始まって、まったく予想しなかったことが起き始め

いまや1歳の娘がいる身になった。

子どもが生まれた報告をした際には

「本当に良かったネ! 慈しみ、育ててください」と、

ものすごく喜びある筆致で描かれた賀状をいただいた。

 

私は先生に何度も助けて頂いた。

ここに書けないこともたくさんある。

ハンディキャップのある方と踊るダンスの会では

言葉を超えるコミュニケーションの在りかと

そして、優しさを教えて頂いた。

舞踏では、体験しなければ何の意味もないことを

突き付けてくれた。

 

すさまじく怖くて、すさまじく優しい

先生の最期は、神様が大きな花火を打ち上げ

たくさんの花をちりばめて行ったのがわかる。

いまごろ、あっちで自慢話をしているに違いない。