ひかりのおと

妊婦観察日誌改め、一児の母の探究日誌。生まれてきたぴかぴかの子どもと一緒に巡る旅の記録です。母子手帳の育児道からはかなり外れているようです。

癒やし手としての子ども

むすめが来てから、

私の中で大きな変化がはじまっている。

すべての出来事が連鎖的に繋がっていくような

心の深い所で高揚感がある。

 

踊りでつかっていたたくさんあったCDを

ふたたび今かけながら

むすめと二人で、身体を転がしたり、止まったり、

手をひらひらさせたり、足をばたばたさせたりしながら

この小さな体から発せられる爆発的なエネルギーとその

太古の匂いというのか、なんというか詩的なもの、

その深さを感じて

人間て豊かなんだなぁ、としみじみと感じ入って

胸がギューッとなって、クーっとなって

なんだかすごく嬉しい。

 

そして、

あぁ、あの舞踏(わたしは10年ほど舞踏手をしていて、

障がいのある方と踊る会の補佐もしていた)の場は

明らかに深く明るい人間育ての場だったのだと

心から納得して、その時間の自分と先生に感謝をした。

なんてすてきな時間だったのだろう!

いま、むすめにその時間を今度は私がプレゼントしたい。

 

....この場合、あの赤ちゃんはひとりの癒やし手(ヒーラ)だったのではないだろうか。

この出来事は(いらいらした女性が、赤ちゃんを見るなりその母親の隣で優しくうっとりした口調で話しかけている光景)

ほんの小さな一例に過ぎないが、子どもにも癒し、変容し、道を指し示す力があるということについて、

なにか深いものが現れていたように感じられた。

 

彼(ユング)の見出した子どもは、

幼稚であると同時に神聖であり

傷つきやすいと同時に不壊なるものであり、

未熟であると同時に賢明な存在である。

「子ども」は見捨てられ危険にさらされているが、

それと同時に神のごとく力強い。

はじめは取るに足らない危うい存在だが、最後には勝利する。

人間の内なる「永遠の子ども」は、

言い表しようもない経験や不調和や欠点の寄せ集めでありながら

神の特権を有しており

計り知れない力を持って

人格の究極の価値や無価値を決定している。

(光を放つ子供たちp112)

 

むすめからたくさんのことを学んでいる。

それは、誰もが持っている、とっても豊かで力強い

なにかだ。

 

大人たちは幼い子どもから学ぶだろう。

幼い子どもの心は純真であり、それゆえ大いなる精霊(グレートスピリット)は

歳を取とった者たちが取り逃がすことを、子どもにたくさん教えてくれるからだ。

―ブラック・エルク